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The Last Dark Art: Exploring the Gaming Aesthetic

その4:与えたものを取り戻す:メタゲーミングの楽しみ

Four: Getting Back What You Give Away: The Pleasures of Metagaming

ダン・レイマン=ケネディー
Dan Layman-Kennedy

2003年1月22日

訳:トモス (tomosakinas*at*hotmail.com)

他の多くのおたく達と同様、私も映画の予告編や本のジャケットの広告やプログラムノートやあれこれのプレビュー、舞台裏特別情報、その他自分がすで に興味 を持っている事について少し味わわせてくれるようなあらゆるものが好きだ。実際のところ、僕は自分がどんな楽しみを得らるかわかっているエンターテイメン ト作品に時間とお金を費やすことの方が、見たこともないような本や映画を試してみることよりもずっと多いし、他の多くの人も同じなのではないかと思う−大 いに期待されている映画の予告編がリリースされて人々が興奮するのを見てみるといい。明らかに、あらゆる種類のメディアの文学作品の受け手達は、物語を少 々事前に垣間見て、それを元にこの先何が起こるかについて気持ちの準備をするのを楽しんでいる。

けれども、RPGの世界では、ゲームをする段になるとこのようなことは奨励されない。これはこの趣味が非常にゲーム主義者的な原則から生まれ出た ものだからなのかもしれない−レフリーは手持ちのカードをできるだけ胸に近いところに寄せておくことが奨励され、メタゲームの罪を犯す者がないようにと配 慮がされる−つまりキャラクターが持っていないような知識に基づいてプレイヤーが行動するようなことが起こらないように。実際のところ、メタゲームはゲー ムを駄目にする非常に下らない方法でありうる−だが、必ずそうだと言えるだろうか?

微妙なバランスをとる必要があるし、デリケートな取り扱いを必要とする問題ではある。だが、キャラクターが知ってはいけないことをわざとプレイ ヤーに明かすことでプレイに非常に面白い展開をもたらすこともできる。多くの物語は、プロットの重要な部分についての情報が報道されてしまってもうまくい く(一部のケースでは、エンディングまでわかっているのだ−ジョージ・ルーカスは、誰もが結末を知っているような物語を語ることで映画界への復帰を果たす ことができたと言える)。ドラマの緊張感は強力なツールだ、だがそれは観客を物語にひきつけておく唯一の手段ではない。非常にしばしば、意味深さは過程そ のものの中にあり、逃れようもなくAからBへと展開していく物語を見ることは次に何が起こるかわからないことと同じくらい注意をひくことなのだ。

ゲームではこれはどんな風に作用するだろうか? まあいくつものな可能性があるのだけれども、メタゲームがゲームをつまらなくするのではなく面白くする要素になるようにする主な方法に、キャラクターと、 そのキャラクターを担当しているプレイヤーの距離をとらせるというものがある。一見したところ、これは、キャラクターが持っていない情報を利用せずに、そ のキャラクターらしい行動をとるような決定をすることのような簡単なことだ。しかし、このアイディアにはそういう簡単なレベルを超えた可能性が秘められて いる。これはこのコラムシリーズの最初の回の話に関係してくる−僕は、選択を行う時には、物語にとって何が一番面白いかを考慮して行う方が、キャラクター にとって何が有利かを考慮して行うよりもよいのではないか、と提案した。これは申し分ないロールプレイヤーであっても、「敗北」(「勝利」がキャラクター の損害をできるだけ少なく保ってシナリオをクリアすることだとして)と感じるようなものについてはためらってしまう、というようなプレイヤーにとっては、 大きな発想の転換を必要とするものかも知れない。けれども、もしもプレイヤーがそういう風に振る舞えば、面白いドラマを作り出すべく行われた意図的な選択 は実際強力な効果を持ちうる− プレイヤーは観客でもあり、キャラクターが知らないところで何が起こっているかについて知っており、その状況の緊張感を感じ取っているからだ。

繰り返しになるが、これはキャラクターへの没入とキャラクターから距離をとることとの奇妙な切り換えを必要とする、繊細な行為だ。けれどもそれ は、伏線を隠すのに時間を費やさなければならないというプレ一シャーをGMからいくらか取り除く。市長が人肉をむさぼるエイリアンで、一見ユートピア的に 見えるコロニーには暗い秘密があること、男爵は吸血鬼の王子の下男であること、などを誰もが知っている−PC以外の誰もが。そしてPC達は、プレイヤー達 が物語を一番面白い方向に展開させてみようということに合意したために、非常に厄介な状況へと足を踏み入れてしまうことになるのだ。同じように、このよう なプレイ方法は、物語に参加せずに、ただ何が起こっているのかを突き止めるべくつねに探偵めいた行動に時間を費やすプレイヤーからも、プレッシャーを取り 除くことになる。

数パラグラフ前に、ドラマの緊張感について書いたけれども、このようなメタゲーミングは、意思決定が全て予め決まっているように感じさせ、緊張感 をなくしてしまう、というようなことにはならないということを強調しておいていいだろう。反対に、手持ちのカードをすべてテーブル上にオープンにしてしま うことは、護身や慎重さの少なく、物語に真の意味で参加するようなプレイのスタイルを奨励することになる。実際、メタゲームを意図的に導入するGMは、シ ナリオを一本 道にしないように注意すべきだ(みんながそれを望んでいるというのならもちろん話は別だけれども)、そして、キャラクターのどのような選択が一番ドラマ チックであるかについてのプレイヤーの考えが、GMの考えとは違っているかも知れないし、GMのものよりも優れているかも知れない、という可能性に今まで 以上にオープンな態度で臨むべきだ。これら全ては、ゲームの共同体的な思想を示唆している−プレイヤー達が、プロットの展開を左右する積極的な役回りを引 き受け、キャンペーンの方向を描き出すような。メタゲームがこのような思想に基づいたプレイに付け加えるのは、プレイヤーがしかるべき情報を受け取った上 で決断をするという能力だ。

もちろん、これはオール・オア・ナッシング的な命題ではない。ここで述べたようなメタゲームのあり方に刺激されたけれども、プレイングから未知の 要素が一切なくなってしまうことは望まない、というようなグループは、ほんの少しの前知識だけを導入することもできる。もしもGMが、今夜のシナリオは謎 めいた文書と、絞殺された上院議員の娘と、下水道に棲息する巨大なワニの変異種が関係する、と恐れを知らない調査員達に教えてやりさえすれば、「はらはら させる予告編」効果が生まれ、みんなの注意をひきつけるだろう。と同時に、重要な情報は何も公開されていないことになる。このようなアプローチの対極に位 置するのが、GMの多少の誘導や一本道シナリオといちゃつきつつ、予め結末の決められた冒険をめぐって大胆な実験ができるようなグループだ:「今晩は、ハ ラルド卿が遂に死を遂げることになる。」このような冒険の楽しみは、グループのメンバー全員が不可避の結末に向かってプレイを進めること、その過程でGM が予想もしなかったようなルートをとること、などにある。

この2つの極の間には、様々な可能性がある:邪悪な計画を披露する悪者をプレイヤー達が演じる幕間。刑事コロンボ風のミステリー−誰の仕業かを 見つけることは簡単だけれどもそれを証明することが困難なもの。GMがプレイヤーに与える情報は必ずしも信頼がおけないものだという警告が事前に出されて いるような、奇妙な偏執狂的なシナリオ。そして、本や映画と同じく、事前にプレイヤーに明かされる秘密はドラマ上の配慮から選択されている、というスタイ ルも常に採用可能だ。結局のところ、GMが見せる「カード」は、GMが袖口に隠しているものに比べたら重要、刺激的、あるいは衝撃的ではないかも知れな い。

何をプレイヤーのレベルで共有される知識にして、何を神秘的なままにしておくかは、大きな問題だ。ある種の物語ではキャラクターが知らないことを 観客が知っていることはより意味があるし、別の種類の物語の場合、重要な秘密が明かされてしまうと物語は台無しになってしまう。ミステリーが一度明かされ ると様々な意味を帯びるような物語もある。けれどもゲームは、本や映画とは違って、一度だけしか観客に経験されることがない。GMが手の内を明かすとその 経験がよいものになるかどうかは、グループと、ゲームと、シナリオによる。心に留めておくべき最も重要な点は、メタゲームは多少なりとも本能的にやってく るということで、プレイヤー達は、たとえキャラクターとプレイヤーを区別する技術を持っていたとしても、知識を与えられればその知識に影響された決定を行 うものだ、という点だ。けれども、しかるべき状況下においては、その影響を放置することは、真に素晴らしい、ドラマとして強烈な結果を生むこともあるの だ。


来月の予告:緊張感についての更なる検討。物事が起きるとどうなるかについて。ここで起こります。お楽しみに。


この記事は米国RPGnetの許可に基づき翻訳されたものです。日本語訳については当サイト管理者ben*at*scoopsrpg.comまたは翻訳者まで。記事の内容については本人へ英語で連絡してください。

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