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ヒロイズム弁護(In Defense of Heroism)

ラリー D ホルス(Larry D. Hols) April 25, 2000

翻訳: Thalion <thalion*at*os.rim.or.jp>

xD&D のルールシステムに向けられた沢山の批判の中には、少々無礼な表現をするなら、いわゆる「違ぇよ!」系とでも呼べるようなタイプのものがある。ここでこういう分類をするのは、批判を行っている人たちを十羽ひとからげにしてしまうためではなく、その批判が最初から見当違いなものだ、という事を強調するためだ。実際には、こうした「違ぇよ!」系の批判は、リンゴがオレンジでないという事実に対して嘆いているのだ。

ゲームデザイナーは、自分が想定するプレイのジャンルや、スタイル、背景世界(背景世界が複数あることもある)を表現するのに、最も適切であると思う原則を組み合わせて、ゲームを作り上げていく。こうしたゲームに対するアプローチは、一連のルールという形をベースとして行われる。隠喩的な表現をするならば、最終的に出来上がるゲームは、リンゴや、ミカン、洋梨、マンゴーなどになる。つまり、それぞれはある特定の原則をサポートするが、それらは互換ではない。あるゲームシステムが、そのゲーム本来の原則のみをサポートし、それ以外の原則をサポートしていない、ということを根拠に批判するのは、まるで、リンゴに対して、それが柑橘類で無い事をなじっているようなもので、全く見当違いな批判なのだ。

こうした評論を幾つかのタイプに分けて調べてみると、論争の解決する助けになるだろう。 キャラクタ作成ルールについての批評を観てみると、そのゲームが狙いとしている事や、そうでない事、そしてそれらがきちんと実現されているか、といった事が分かる。また、リアルさに欠けるという批評の多くは、そのゲームのヒロイックな要素を考慮することで潰してしまうことが出来る。つまり、そのゲームは、はなからリアルさなど狙っていないのだ。こうしたよく見られるタイプの批評というのは、個人的な好みから生まれてきたものだ。そして、そのゲームがデザイン上の特徴として持っているヒロイズムとは、相容れないものだった、という事に過ぎない。

ヒロイックなキャラクタ

xD&D では自分の望むようなタイプのキャラクタを作る事が出来ない、という文句を耳にすることが良くある。そして、そういう訳で xD&D は駄目なゲーム、ということになってしまっている。前半の部分は正しい。あらゆるタイプのキャラクタを作成出来るという訳ではない。だが、後半部、つまり「自分の望むキャラクタを作る事が出来ないから駄目駄目だ」は正しくない。このゲームシステムは、痩せこけて皺だらけで、謎の薬草を育て、鍋で煮込んでいるような婆さまで、貴重な alturican 鰻を捕まえるための、アクション思考の冒険のために自分の洞窟から出かけていく、なんてことは金輪際しないような奴、なんてものをサポートするようには出来ていない。例えが少々極端だが。

あるゲームが、こういう婆さまをサポートしてないからといって、そのゲームを駄目扱いするすれば、「違ぇよ!」という反応がくるのは当然だ。なぜなら、そのゲームは元々そういう婆さまをサポートしようなんて想定されていないし、また、そういうタイプのキャラクタについてもまた然りだからだ。マクドナルドのメニューにフィレ・ミニョンが無い事を批判する人はいない。本来そのゲームが意図してないものが提供されていないからといって、そのゲームを悪く言うことは、元々理にかなっていないのだ。

そのゲームの中でサポートされているキャラクタタイプは、ヒロイック・ファンタジーや、特定の関連を持つ人物の比喩として存在する。そのゲームでは、神話、伝説、物語などに現れるアーキタイプ的な人物を、プレイの中に現れるべき人物タイプのベースとして用いているのだ。そのゲームは、ある物語に出てくる全てのキャラクタを生成出来るようには出来ていないし、そうした人々全てを作ること自体、許していない。そのゲームが追求しているのは、そのゲームの基本構造にフィット出来るような、大きなアーキタイプ群を作り上げることだけなのだ。

また、ゲームシステムは、こうしたキャラクタタイプが、プレイを通して、ヒロイックな高みにまで上り詰められるように作られている。こうしたゲームの中では、キャラクタはそのファンタジー世界の単なる住人としてではなく、それなりの地位を持つ英雄として -- あるいは悪人として -- 名を成すのだ。本人がそう望のなら。 他の人々から抜きんでた存在として、特定の評価を得る。そうした評価を受けることが、ゲームを悪くするというのは、単に好みだけの問題である。

ヒロイックな行動

その他に、共通の不満として挙げられるものとしては、システムが様々な種類の、非現実的な出来事を許容している点だ。よく言われるものとしては「キャラクタが50フィートの高さの断崖から落ちた。だがヒットポイントさえ十分なら、死なない」「剣やら矢やら、とにかこうそいういう尖がったものでめった刺しにされても、キャラクタの動きは鈍らない」等などがある。もしそのゲームが「リアル」である事を志向しているのなら、そう言っても構わないだろう。そういう発言は許されてしかるべきだ。

詳しく見てみると、これらの告発は、前に述べた「自分のお気に入りのキャラクタがサポートされていない」という批判と同様の、問題の置き違えから生まれたものである。落下ダメージや、武器によるダメージ等の「リアルさ」という問題を考える場合、そのゲーム内で想定されている典型的な住人を尺度とするべきだ。xD&Dのケースで言うならば、典型的な人というのは、0レベルの NPC である。非現実的である、と訴えるのならば、この点を心に置いた上で、考えるべきである。

--0レベルの NPC が 50フィートの断崖から落ちたら、死亡するだろう。高所からの落下の結果は致命的であり、妥当だ。
--0レベルの NPC は、剣で武装した一人の敵を相手にした場合、2ラウンド程度なら持ちこたえられる。だが、一撃でも命中してしまえば、それがダガーでも致命的である、というのは妥当だ。

いくらかの経験を重ねた PC をこの状況下においたならば、結果は違ってくるだろう。5レベルや10レベルの PC ならば、0レベルの NPC の時のシナリオとは違った結果が期待出来る。それでもこのゲームは非現実的か?

ノーだ。

これは、このゲームにおいては、ヒロイックなキャラクタがヒロイックな偉業を成し遂げる事がサポートされているということだ。それこそが、このゲームの狙いなのだ。キャラクタ達が「普通の」人々に最も近い頃(例えば、1レベルキャラクタ)ならば、そうした普通の人々と同じような事で悩まなければならない。ヒロイックなやり方で生存出来るようになるのは、彼らが庶民たちを超える能力(ヒロイックな能力)を得てからなのだ。ゲームの中で典型的であり「リアル」な人々は、より「リアル」な脅威について、ヒロイックな人々と違った方法で悩む必要に迫られるのだ。

そして、それこそがこのゲームのあるべき姿なのだ。D&Dエンジンの全てのバージョンは、ヒロイックで、普通の人々では不可能な、並外れた偉業を成し遂げるようなキャラクタをサポートしているのだ。「リアル」な能力を持つキャラクタを待つのは、「リアル」な危険だ。だが、ヒロイックなキャラクタを待つのは、そうした危険を超越した...ヒロイックな危険なのだ。

果物を選べ

xD&Dルールエンジンについての批判が、全て正当なものではない、と言うつもりはない。ただ、不満というものは、それが妥当なものかどうか、吟味する必要がある、ということだ。年寄りのしなびた老婆をサポートするゲームを望むなら、そうした老婆をサポートしていないようなゲームについて、悪く言うべきではない。それよりも、しなびた老婆をサポートするゲームを探すべきであり、それが単に好みの問題に過ぎないということを認識するべきだ。

ちなみに、僕は洋梨が好きだ。

Larry
fiddly*at*rpg.net


この記事は米国RPGnetの許可に基づき翻訳されたものです。日本語訳については当サイト管理者ben*at*scoopsrpg.comまたは翻訳者まで。記事の内容については本人へ英語で連絡してください。

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