うがつもの (Be shrewd) 2004年12月号



『TRPGの紳士協定 〜ゲーム理論をうがつもの〜』



2004年12月5日
回転翼 (kaitenyoku*at*www.fact-mail.com)
    スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。






 2004年も残すところあと一ヶ月。

 今年は9月から始めたBlog活動が予想を超えた反響で、いささか舞い上がってしまった(浮き足立っていたとも言う)下半期であった。反響の内実はともかく、5000以上もあるMelma!Blogにおいて何度かベスト10に入る盛況を見せたのは業界に対して励みになる活動だと思う。批判は多くあれ、筆者がどうであれ、「RPG」の看板を掲げたBlogが『桜井悠美子オフィシャルブログ』や『週刊アカシックレコード』などの著名人のBlogや時事の話題性の強いBlogと肩を並べた事実は快挙と言ってもよい。それだけのキャパシティがまだまだRPGゲーマーにはあるということだ。何度か憂鬱な気分になるのを振り切っただけのことはあった。

 さて、今年最後のコラムである。

 お題はここ最近悩んできた参加者のモラルに関する問題である。


1.名刀1本より槍100本

 かつてRPGは大量の新規参入者を抱え、その多くを手放した時期がある。それと同時に、業界を草の根で牽引していたヘビーユーザーも働き盛りになり、ヘビーでいられずリタイアする者が出てきている問題もある。

 その2つを顧みるに、現在RPG業界は残ったユーザーを確保する程度の力はあれ、これから新規参入者を受け入れる体制はできていない……ベンダもユーザーも、自分たちの環境を守るのに精一杯なのではないかという推測が生まれる。

 非電源ゲーム自体が時代遅れとされ、賢明な延命処置にも関わらず衰退しているのなら仕方がない。

 だが、一年以上かけた言論活動の中で、そんな声はとうとう聞くことはなかった。RPGゲーマーの側で他メディアに幻惑されて自己不信から衰退論を唱えるというのはあったが、まったくの部外者……例えば著名なMMORPGゲーマー乃至デザイナーがTRPGを「時代にそぐわない。ダサくてプレイする気しない」と断じて話題になったなんてことは耳にしていない。

 むしろ、MMORPGの感覚を取り入れた『アリアンロッド』がMMORPGゲーマーに清新に見られ、受け入れられつつあるという意見も聞く。10代後半以降ともなればコンシューマーゲームは大抵ソリティア(1人遊び)だろうから、多人数が顔を合わせてワイワイ楽しめるTRPGはかえって新鮮なものなのかもしれない。

 そんなわけで、非電源ゲームとしてのRPGに関しては僕はまだ楽観的である。

 つい衰退論を口にしてしまいがちだが、逆に思いもかけない場所から新規参入があるかもしれない。

 そうなると、この新規参入者……プレイ前からファンになっている「RPG誌読者層」ではなく、まったく素養がなく「面白そうだから」と参入してきた人たちを、ひとまず「趣味」の段階にまで持っていくための体制作りを整えなくてならない。その点に関しては幾分悲観的だ。

 ぶっちゃけた話、もう新規参入者はご免だという人だって多いはず。

 確かに、遊戯人口の増加はプレイの質の低下を招く一因にもなる。人材に対する依存度の高いTRPGでは、質のよいゲームよりも質のよいプレイヤーの方が需要が高い。越前朝倉家の遺訓じゃないけど名刀1本より槍100本、傑作TRPG1作よりもGM100人の方が業界のためになると考える人の方が多そうである。

 だが、そんな人材的余裕が今の業界にあるのか。

 1サークルに1人、新入りをゲームに汲み入れる「師匠」はいるのか。

 実の所、先のストーリーメディア参入組が味わったのは、自分たちのゲーム感覚を養成してくれる良質なヘビーユーザーにめぐり合えなかったというのがある。結局、今までマイナーだったTRPGが突如脚光を浴び、ライトノベル好きの女の子なんかが入り込んで、古きウォーゲーマーの方々は完全に舞い上がってしまったのだ。サークルはみるみる仲良し会になり、彼女や取り巻きを作ってお山の大将になりたがる田舎者がゲーム活動そっちのけでサークルを仕切りだし、ゲームと接客を履き違えた大道芸人まがいのシナリオ自慢、話術自慢のGMが現れ、打ち上げになると張り切る宴会プレイヤーが登場し、まあ後はなんとやら。気がつけば野となれ山となれ。

 ところが一度業界が廃れれば、原因は離脱者がゲームを蔑ろにしたからとなつりつけ合戦。

 ゲームの何たるかも知らないノービスどもがTRPGをごっこ遊びにした、気持ち悪い接待にしてしまったと散々な物言い。悪いのはすべて新規参入組、俺たちこそが正しいゲーム感覚を持っている正統なRPG継承者なりとヘビーユーザーどもは一斉に嘯き始めた。諸事雑事とにかく衒学になり、ディベートで後輩GMを苛めることなど当たり前、打ち上げともなれば何のお構いなしに説教、脅迫、苛めをする。お前たちノービスは俺たちエリートの草履取りでもやってろとキンキン声を張り上げ、逆らう者は村八分。

 ところが、そんなヘビーユーザーも働き盛りになって次々とリタイア。

 あ〜、せいせいした。

 ただ今、TRPG業界は天国も地獄も味わった傷だらけの武辺者と、新世紀以降に入ってきた世代とが同居しており、さてこれからどのように舵取りしましょうかという時代である。正直、これから先は従来の理想とされてきた「良心的なヘビーユーザーによる教導」は望めないし、プロデザイナーがカリスマで指導するにも限界があろう。

 人材による業界の牽引は、これから先さらに困難となるだろう。

 「コラムニストと編集長代行」という立場関係である馬場秀和氏は『都ちゃんに萌え萌え』でRPGの汎用理論を構築することの必要性を説いた。名刀1本よりも槍100本の世界に真っ向から異を唱えたと言ってもよい。

 だが、ヘビーユーザー人口はどんどん減少する。そうなると中級者以下のプレイヤーはデザイナーにより一層依存するようになり、デザイナーへの負担がどんどん大きくなる。デザイナーは単なるゲーム製作者ではなく、オピニオンリーダーにもなる必要を迫られるのだ。もちろん、名刀が1本10本とあったところで多勢に無勢。足利義輝、北畠具教よろしく最期を迎えるであろう。

 実はデザイナー依存より積極的に教導ができる体制のアイディアは1つある。

 2ちゃんねるTRPG板の活動を公認化すればよい。3000円以上もする高い定期刊行本を出すよりずっと安上がりだ。日本全国のヘビーユーザーを集中させれば、巨大な世論が生まれる。ゲームの解釈を巡って物凄い戦国時代になるだろうが、Blog活動なんか笑殺できるほどの爆発的なフィーバーを起こせるかもしれない。

 そうなりゃ、僕は「TRPGが好きではありません」と明言した手前、ログをかき集めてTRPGが好きになるまでのサクセスストーリーを書き上げて一山当てさせてもらいます。

 題して『TRPG男』

 …それが無理だから、もう一段二段と迂遠な策を講じるしかないのだ。

 差し当たって、理論はあった方がよい。RPGの実践者100人より戦の役に立つ。

 その理論を踏み台にして、さらなる研鑽を重ねる修業の道があって、実践派の人はさらに奥へ進めばよい。

 誰が納得するか分からない理論よりも、実践者100人が実戦で活動した方が業界を活性化させるというのが実践者の弁だし、従来はそれでよかった。「実践者=TRPGの師匠役」となればの話だし、かつてはそれが当たり前だったからだ。

 だが、実際には「私が指標となりて後進を育てていこう」という意志のもとで実践を重ねている人なんていやしない。ほとんどの人は自分のゲーマー人生を潤わせることしか興味がない。自分の積み上げてきたものを墓まで秘蔵していく気なのだろう。さらに墓の中から「私はRPGに愛があった。私を崇めよ」と呻く気なのだろう。繰り返しの表現だが、ちょうど手前が先輩方のように。

 そんなんで次代を牽引しようだなんて……。

 越前朝倉家の喩えをしたから、素人見解だがもう少し掘り下げていこう。

 前述の名刀1本槍100本の故事は朝倉家の分国法、『朝倉家之拾七ヶ条』の中の一文である。

 この17ヶ条、文章の時代背景からして三代貞景以降のものらしいけど、読んでみていいこと言ってんじゃんと思うことが多々ある。いい加減な現代語訳だが、少し紹介しよう。

一、朝倉家では宿老(名家出身の重臣)なんか置かず才能や忠節によって用いろ。

一、先祖代々やってるからといって、無能な奴に軍の指揮や奉行なんかさせるな。

一、天下が穏やかであっても、遠くの国にはスパイをおいて情勢を探ることは大事だ。

一、名作の刀なんか欲しがるな。一万疋もする刀を買っても百疋の槍を持った足軽百人には勝てまい。一万疋で槍百疋買って百人の足軽に持たせれば、一方を守る戦力になる。

一、京都より四座(メジャー団体)の猿楽を招待するのはダメだ。その金で自国の未熟な猿楽士を留学させれば後世のためになる。

一、年に三度は正直な人に領内を巡検させて民百姓の声を聞いて、公平な裁きができてるか自分で知れ。

一、お寺や街を通る時は馬を停めて、いい所や悪い所をよく見ろ。悪い所は直して、いい所はOKを出せ。国をよくするのも心配りが大事なんだよ。


 ……とても、コーエーのSLGで今川氏真の二番煎じキャラにされている当主の分国法とは思えない。ビジネスマンの啓蒙書に登場しててもいい文ばかりである。

 事実、朝倉家は正規の武家では織田信長を一番苦しめた。指揮官の規律に従った軍事作戦が取れる武装集団を精兵とするなら、越前朝倉家は織田信長よりずっと早く自家の武装集団を軍隊化している。だが、朝倉義景は越前の繁栄しか展望にない地方豪族思考だっただけに詰めが甘く、結局は戦功に見合う戦果が得られず臣下の離反を招いて自滅した。

 当時の一乗谷は朝倉宗滴死後に1万人を動員しての犬追物をするなど、規模も人口も「大都市」だったから無理もないけど、展望がないということはそれだけ部下を引き付ける生命力がないということである。朝倉義景を自殺に追い込んだのは信長ではなく家臣団の筆頭であった朝倉景鏡であることを考えても、「小天下」の待つ先は内ゲバである。やっぱり宿老置いちゃダメだった。

 僕個人の「朝倉萌え」はともかくとして、このような分国法はあってもいいと思う。「理論」よりかは分かりやすく受け入れやすい。理を詰めて言葉を絞るよりも、最初に教条ありてそれを各ゲーマーが補完していけば共通認識も持ちやすいのではないか。悪く言ってしまえば、言葉をつなげた「理論」なんて受け手の解釈によって千変万化するものである。いくらでも誤用、歪曲がきく。

 ただし、分国法なんて言葉をそのまま使うわけにもいくまい。TRPGユーザーにもしっくりくる現代の言葉で表さなくてはならない。

 僕がここで用意するのは「紳士協定」である。


2.TRPGの紳士協定

 紳士協定とは、正式な協定は結ばないが、相手が履行してくれるものと信頼して結ぶ協定のことである。

 TRPGにおける参加者間の信頼関係も紳士協定的な感覚が基にある。

 部外者にはピンとこないTRPGの常識として、TRPGのルールブックはスポーツのそれとは違い、遊び方や遊びの道具を示す本であって、参加者のマナーやスポーツマンシップ、違反行為や罰則規定などはほとんど存在しない。協会などの権威組織が存在しないTRPGではそんなものに何の拘束力もないし、遊びの道具である以上、できる限りの紙面を遊び方に回したい実情もある。

 ともかく、プレイ中に山海堂のレプリカ武器を振り回そうが、GMをトイレに誘って「俺の思い通りにマスタリングしなければネットに実名晒す」と脅迫しようが、お姉ちゃんを犯そうが、密室殺人をしようが……犯罪者になってサークルから追放はされるけど、TRPGをプレイする権利を剥奪されるなんてことはない。

 このような事態が起きることはないとするのが「紳士協定」である。

 まず、自分はゲームのために犯罪をするなんて行為はしない。相手は自分がそう心がけていることを信頼している。そして自分は相手もまた、犯罪をしないであろうことを信じている。ただし強制はしないし、問いただすこともしない。相手の履行を信じているからだ。

 この紳士協定を明文化してみてはどうだろうか。

 自分は履行する。他の人には履行すると信じる。その関係なら個人主義が多いゲーマーにも受け入れられよう。

 とりあえず、僕が認識している紳士協定は以下の通りだ。

1.プレイヤーは自分のキャラクターの設定を生かし、目的を与え、自発的な行動を取るよう心がける。
  ゲームマスターは彼らの行動を保障すると同時に、ルールに従い公正に行われるように指導する。

2.全参加者はルールを遵守し、改変を他の参加者に無認可で行ってはならない。

3.全参加者はゲームの偶然性を理解する必要がある。また、ゲームと現実の違いをわきまえる必要がある。
  他の参加者の生命、安全、財産、プライバシーを侵す行為はいかなる意図があっても禁止する。

4.プレイヤーは他のプレイヤーとの間に最低限の協力をすることが求められる。
  ゲームマスターはそれが妨げられることがないようにする。

5.性格、知識、経験、地位などで差別がされてはならない。経験者は初心者に適切な指導をするよう努める。

6.全参加者は自分のキャラクターの管理に責任を持つ。
  加えて、ゲームマスターはシナリオの管理にも責任を持つ。

7.全参加者はすべての発言・行動に責任を持ち、礼節を怠らない。

8.全参加者は体調を整え、なるべく万全な状態でプレイするよう努める。

9.全参加者は公衆マナーを守り、周囲に迷惑をかけない。

10.ゲームの最高目的は参加者全員で楽しむことである。これはすべての協定の中で一に優先することである。


 協定1番は意志決定の要素を簡略化したものだ。他者に何から何まで依存するスタイルを悪弊とし、プレイヤーの自主的行動をうながす目的がある。

 2番はシステムに関する共通認識を持つことである。従来のTRPGでは、基幹であるルールが未成熟でプレイバランスを損ねた物もあった。そのためにルールは軽視され、自由に改変してよいという不文律がまかり通るようになったが、これでは全国基準を持つゲームにはならない。最低限、参加者に無認可でハウスルールを使ってはならない。

 3番はキャラクターは必ずしも望んだ通りの展開にはならないことを明記している。それを受け入れ、むしろその偶然の悪戯を楽しんだ方がゲームらしいのではないか。少なくとも、リプレイみたいな展開にならないからと言って「それはTRPGではない」と言い出す人を防ぐ目的がある。

 また、ゲーム中にも関わらずプレイヤー個人の資質やプライベートに踏み込む人がいるが、それは無作法であることを心得ててもらう。ゲームは楽しむ場であり、参加者の討論会ではない。ましてや、ゲームがもとでトラブルを引き起こすのは避けたいところ。

 4番の「最低限の協力」とは、他のキャラクターと知り合うこと、他のキャラクターを迫害しないこと、協力する必要がある場面ではキャラクター同士協力することの3つである。

 5番はここんとこ続けて問題提起してきたサークル内での差別問題に対する規定である。ゲームに詳しいとかロールプレイが上手いとかで、プレイヤーが偉くなる権利はまったくない。偉いのは技術の向上に努力する人、適切なアドバイスができる人ではないだろうか。

 6番はキャラクタープレイに対する本当に最低限の規定である。キャラクターはプレイヤーの分身だとよく言われるが、TRPGは初対面同士が一緒に楽しむ機会も多いので、キャラクターの扱い方は相手を見る格好の材料となる。みっともない人間に見られたくない人は、自分以上にキャラクターを大事にするべきである。

 7番は対人関係そのものへの根本的な協定である。TRPGにはプレイヤーの姿勢や態度を律するマナーはまったくなかったがために、他の競技やゲームでは考えられないほど幼稚で自分よがりなプレイヤーが横行するようになった。これも一重に、ゲームを厳粛に行おうとする責任感が欠けているからだろう。

 8番は人が寄り集まるイベントへの参加者として当然のことである。寝不足はTRPGにとっても大敵である。病気のときは無理を慎み、風邪などの感染症の方はゲームよりも養生に専念するべきである。前日には体を洗い、清潔な衣服を着用するよう心がけるべし。髪や髭、爪なども整えておいた方がいいだろう。

 9番はもう小学生でもわきまえていることだろう。大声とゴミは一般の人に悪しき偏見を持たせる重大な要素である。時間にルーズなこと、不潔であることも人に嫌われる行為だ。セクハラや器物損壊、危害を与えかねない行動などもっての他である。

 ただし、これすら守れないのが熱狂したファンというものである。やはり明文化は避けられまい。

 10番は……これが欠落していいという人がいたらお付き合いはしたくない。

 TRPGが複数の時間を割いて行われるものである以上、遊戯としての娯楽性は満たしていないといけない。だが、楽しむために残りの9条が無視されるのは本末転倒である。楽しむのは一番大事な掟だが、それは9条すべてを遵守した参加者にのみ与えられる権利ではないだろうか。

 以上が僕が提起する「TRPGの紳士協定10ヶ条」である。

 本当に最低限のことしか規定していないと思う。個別の解釈はともかくとして、この10ヶ条を自分は心がける。相手も心がけていると信じる。TRPGの新規参入者にまず教えたい参加者としてのマナーを自分では凝縮できたと認識している。

 もちろん、この条は表現が曖昧である。この条は掲げた目的を認識させる語彙力に欠ける、この条はこうした方がしっくりくるといった問題はあるだろうし、論議によっては条項が増えることも減ることもありえる。その中には「紳士協定なんていらない」とか「破ってもよい」とする意見もあるだろう。

 あっても結構。

 だが、「僕は一週間風呂に入ってないけども何ら問題ないと思う」とか「レプリカ武器やナイフを振り回すのも許すべきである」という人は、とりあえず真偽以前に近寄らないでほしい。いくら僕が嫌いだ、反証して笑殺したいからといって、一週間も風呂に入らずプレイ中に武器を振り回す人が僕より支持を集めるような状態になったら……。

 とりあえずその人をモチーフに『TRPG男』書きます。

 それが基で都議会県議会で左翼政党のおばさん議員がTRPG禁止条例を提出しても、まあそれも仕方ないか。


回転翼(2004.11.29)


Blog版 RPGコラム『うがつもの』へ



 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

タイトルページへ戻る