|
アイデアの宝庫 |
|---|
マイケル・マールズ(Michael Mearls)
2000年6月
アドベンチャーを始める手法には割と典型的なパターンというのがたくさんある。親切げな魔法使いが田舎町の酒場で主人公たちに近づいてくるとか、うさんくさいMr.ジョンソンがキャラクターたちとみすぼらしい下町のバーで会う約束を取り付けてくるとか、反乱軍のエージェントが宇宙港のパブで主人公たちに新デススターの位置を表す星図を渡すとか。結局のところ、RPGの主人公というのは、友人達と飲んだくれるという無駄な時間を過ごす必要があるのだ。だって、直に世界を救うために自分たちを見つけようとしてる誰かが酒場にやって来るんだから。
こういった、アドベンチャーを開始する真の、枯れた手法を採用しても正しく用いるかぎり何の問題もない。でもプレイヤーの一人が魔法使いがネタをもって現れるんじゃないかと心配して酒場の隅っこでじっとしていることについてジョークをとばし始めたら、話は違ってくる。さあ、他にどうやって冒険をはじめようか?
今月の「アイデアの宝庫」はこいつだ。アドベンチャーを始めるというのは、GMとしてやらなくちゃいけない最も困難な仕事の一つだ。物語に「始め」「中盤」「終わり」があるのはみんな知っている。でも何が冒険を際立たせるのかについては、全然分からない。じゃあ、なぜ新しいことを試して、アドベンチャーの冒頭部分を捨ててしまわない? この方式は君の手間を減らしてくれるばかりか、うまく使えばとても際立ったアドベンチャーを仕上げることができるんだ。
「キューブ」は簡単に見逃しがちな映画の一つだ。この映画は比較的新しいし、君がよくいくビデオ屋の5000部もの「アルマゲドン」や8000部もの「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の影に隠れてしまっているだろう。「キューブ」は立方体の部屋で作られた死の迷路に閉じこめられた6人の人物の話だ。各部屋には四方の壁それぞれに扉があり、床と天井にも扉がついている。中にはとんでもないブービー・トラップが仕掛けられた部屋もある。そしてパズルの一部は限られた形ではあるが罠の仕掛けられた部屋とそうでない部屋のパターンを表している。
「キューブ」を素晴らしくしているものは、キャラクターにほかならない。みなお互いを知らず、なぜ、どうやってこの迷宮へ閉じこめられたのか、誰も知らない。突然キューブに閉じこめられるまではいつもの毎日を過ごしていたに過ぎない。猜疑と疑惑とがグループの間を駆け巡るけども、一緒に行動することだけがキューブの謎を解き、脱出するための唯一の方法なんだ。
「キューブ」は素晴らしく豊かなロールプレイングゲーム・シナリオのプロトタイプとなり得る。この映画では、キャラクターにチームを組むように仕掛けるわざとらしい方法はない。それぞれ別個の目的を持ち、誰も相手を信用するはっきりとした理由をもっていない。でも、だれも一人では脱出できない。共に行動することで、無事に脱出できるという希望を持てるというだけのことなんだ。これが「キューブ」を単発セッションやトーナメント・シナリオの完璧なソースにしている。単発シナリオに比べ、すでに進行中のキャンペーンではキャラクターがお互いを知っているのは明らかだ。それに、いきなりキャラクターが死の危険の迫る環境に閉じこめられたと宣言するというのは、キャラクターに感情移入しているプレイヤーたちにすることではない。おまけにキャラクター同士がすでにお互いを知り、信じあっているのでは、ロールプレイング面での挑戦的要素の大部分が失われてしまう。目指すべきは、普通ではお互いに何の関係もないキャラクターたちの間に、鮮烈なロールプレイングを生み出す緊張感を作り上げることだ。
このシナリオをうまく機能させている秘訣は、セッティングだ。キャラクターはそれぞれ別々の牢獄で気がつく。この粗っぽいイントロ以外はなにも必要ない。どうしてこういった相いれないキャラクターたちが一緒にいるのか、くどくど説明する必要はない。それは謎の一つだからだ。実際、このタイプの冒険ではGMは多くの物事を放り出すことになる。もう何も調整する必要はないんだ。だってキャラクターは自分の置かれた状況についてまったく何も知らないのだし、自分を捕らえたのが誰かということも、なぜ捕らえられたのかも、そもそもこの牢獄がどうやって作られたのかもまったく知らないんだから。キャラクターたちは、ただ脱出したいだけだ。この利点を活用し、その上に自分の冒険のアイデアを載せてやればいい。自分のいつものキャンペーンに組み込むにはちょっと難しいかと思えたものが突然まったく扱いやすいコンパクトなフォーマットにまとまってしまったじゃないか。必要なことは、効果的なプロットを用意するだけだ。キャンペーン世界にどうやって織り込もうかなんて気にする必要はないんだ。
フリッツ・ライバーの「凄涼の岸」はキャラクターをアドベンチャーのど真ん中に放り込む別の方法を提示している。「キューブ」と異なり、「凄涼の岸」はキャンペーン向けのすばらしいアイデアを提示している。物語の中で、ネーウォンの世界の偉大な戦士にして盗賊であるファファードとグレイ・マウザーは恐るべき敵と戦うべく遠い孤島へと召喚された。物語は最初まったく無害な調子で始まった。主人公らはいきつけの酒場で飲み打ちを楽しんでいた。そこにミステリアスなよそ者が現れる。彼はファファードとグレイ・マウザーにクエストを申し出る代わりに、そういった丁重さは省き、単に二人を魔法にかけ、すべて放り出し二人そろって西へと漕ぎだすように強要したんだ。
ここまではふつうのファンタジー・アドベンチャーのオープニングだね。ただ主人公を欲やヒロイズムで引く代わりに呪いを利用しただけだ。「凄涼の岸」の巧妙なところはファファードとグレイ・マウザーに自分の運命をコントロールする術をなくしただけじゃない。意志に沿わない旅によって故郷から遠く離れた見知らぬ土地へと導いたことだ。とうとう呪いから逃れたあとも、二人はまだ故郷へと戻る旅を続ける必要があった。「泣き叫ぶ塔」「沈める国」「七人の黒い僧侶」といった冒険はすべてランクマーの街へと戻る旅の途中で起こったことだ(*1)。
こういった呪いを使ったり余分な時間の節を設けたりするのはキャンペーンのスパイスとしてものすごく役立つ手法だ。自分のキャンペーンとうまくかみ合わないアイデアがあるとする。キャンペーンを取りやめて新しいキャンペーンを開始するのが良いだろうか。突然の舞台替えという手法を試して欲しい。自分の望んだラインに乗せられるはずだ。
注意すべき重要なポイントがある。キャラクター、それにプレイヤーが現在の土地にどれほど愛着をもっているかを忘れないことだ。シナリオ中の囲み付きテキストだけでキャラクターを世界横断の旅へ送り込もうと思ってはいけない。そういうやり方は1,2セッション程度だけキャラクターをどこかに往生させる場合にのみ使える方法だ。Star Wars RPGなら、ハイパードライブの故障はキャラクターを1セッションだけ未開拓の宙域に放り込むには良い方法だ。でも、自分の思いついた巧みなアイデアを実現するためだけに、プレイヤーに今までに培ってきたものすべてを捨てさせるというのは駄目だ。ファファードとグレイマウザーは長い旅を通して故郷へ帰るという自分たちの目的を忘れることはなかった。プレイヤーたちだけはそうでないと考えるべきじゃない。
この問題に対処する方法の一つは、キャラクターの問題をキャンペーンの中心的なプロットラインと結びつけることだ。例えば、D&Dキャンペーンにおいて悪辣な魔法使いたちが邪魔なキャラクターたちを片づけるために遠い土地へと転移させたとしよう。この魔法使いらは恐るべき計画を練っており、その計画にキャラクターたちが干渉できないようにしたいのだ。もちろん、悪役の流儀に従い、キャラクターを転移させるまえにこのことを語って聞かせるわけだ。プレイヤーには今やはっきりとした目的を持った。故郷に帰り、魔法使いどもの尻を蹴飛ばすことだ。その途中で、キャラクターたちはキャンペーンの設定とは合わなかった奇怪な文化や冒険に入り込めるというわけだ。日本やインドのような文化を持ち込んでもいいし、いったんすべてを止めてしまって、キャラクターたちを異世界へ導いてもいい。ポイントは、基本的にキャンペーンを新しく始めることになるということだ。真っ白な地図が自然や都市、モンスターが描き込まれるのを待っている。
ロールプレイヤーは新しい困難に立ち向かうことで成長する。問題なのは、キャンペーンを作成したりあるジャンルにおける慣習に従っていくなかで、容易に創造上の曲がり角に落ち込んでしまう可能性があるということなんだ。キャラクターを新しい状況に放り出すというのはちょっとばかり極端な方法に見えるけども、正しい目的のために行えば、冒険を素早く始めたり、キャンペーンのペースを変えたりすることが可能なんだ。
マイク・マールズ(Mike Mearls)
Mearls*at*rpg.net
訳注
*1 「凄涼の岸」「泣き叫ぶ塔」「沈める国」「七人の黒い僧侶」といった作品は『ファファード&グレイマウザーシリーズ2 死神と二剣士』(著:フリッツ・ライバー 訳:大谷圭二 創元推理文庫 Fラ22 ISBN4-488-62503-7)に収録されています。このシリーズはいわゆるファンタジーものとは一風変わった趣があり、お薦めできます。AD&Dでもモジュール化されたくらいの人気小説です。
この記事は米国RPGnetの許可に基づき翻訳されたものです。日本語訳については当サイト管理者ben*at*scoopsrpg.comまたは翻訳者まで。記事の内容については本人へ英語で連絡してください。