翻訳: Thalion<thalion*at*os.rim.or.jp>
RPG はどっちつかずの存在だ。別に自然の法則でそう定められているという訳じゃないんだろうけれども、今日においては、そういう存在になっている。この世界は、シンプルでイージーな決定でいっぱいだ。そうした決定の殆どは間違っているのだけれども、気に病む必要なんてない。もし不安に思ったら、自分が慣れているやり方を選べばいい。実際のところ、僕はこれから、最近僕の身の回りで最近起きたことについて、楽しく話してみようかと思っている所なんだ。
一人の子供が遊んでいるとしよう。おや、あの子はテレビを観ているぞ!なんて愛らしく、またおとなしいことだろう。ああ、素晴らしい。こっち側の子供は何やら独り言を言ってるぞ。うわぁ、気味悪い!止めさせなきゃ。
ああ、なんてことだ。今度はポケモンとおしゃべりしてるぞ。まるで本物を相手にしているみたいだ。馬鹿げてる! 今すぐあの娘からポケモンを取り上げてしまわなきゃ。ポケモンのせいで、現実が見えなくなっちゃってるぞ。
あ、観てごらん。僕らの一番上の男の子が「テレタビーズ」を見てるよ。テレタビー[tm]の縫いぐるみをしっかり抱っこして、「イーオゥ」とか言ってる。全くテレビそっくりだ。なんて賢いんだろう。
おや、今度は二番目の女の子がかんしゃくを起して大騒ぎしてる。壁に体当たりしながら、空想世界で遊んでいるぞ。困ったもんだな。
ここで簡単な判定を下してみよう。最初の男の子はまともで、精神的に安定している。一方で、二人目の女の子は...あー...ちょっと心配だよね。空想癖が強いのってのはちょっと問題だ。
おいおい。あそこのヤング・アダルトたちを観てごらん。なんだか挑発し合いながら「バッフィー・ザ・バンパイアスレイヤー[tm]」っぽい台詞を吐いてるぞ。なんてお約束な。本当、クリスマスプレゼントに「バッフィー年鑑[tm]」を買ってあげて良かったよ。
ちょっと待った。ここに一人の欲求不満のティーンエイジャーがいる。彼は、何だかオカルトっぽい言葉でぶつぶつ言いながら、僕の娘の友達とたむろしている。彼らは友達の誰かの家に行って、なんだか奇妙な事をしている。「ヴァンパイア・オカルト・ゲーム」だかなんだか言うらしいが、自分が買ってやらなくて良かったと思うね。
僕の知り合いにピクショナリーのプレイヤーがいる。彼は、"Once Upon a Time"(カードを使った、非常に優れたストーリーテリングゲーム。現在はAtlas Gamesから入手可能(*1))が大の苦手だ。このゲームは、他のファミリータイプのインタラクションゲームとは本質的に違うものなのかな? あるいは、それは単に受け取りかたの問題で、OUaT が、普段あまり馴染みのない方面の楽しみかたを追求しているからなんだろうか?
多分、こういう事だと思う。僕たちの世界では、創造性というのは、ある特定の枠組みの中で発揮される場合にのみ、敬意をもって迎えられるものだ。こういう創造性を「主流の創造力」と呼ぶことにしよう。主流の創造性には色々と優れた面があるが、特に、優れた料理人を生み出すのに役立つ。どんなものでも、何かの役には立つってことで。
ファンタジーもののコンピュータ RPG をプレイするのは、別に変だとは見做されない。「ハリー・ポッター」小説のシリーズは大人気だし、(このシリーズをこき下ろしたくて仕方が無い、一部の狂人を除けば)、これを読むのは普通の事だ。モノポリーで遊んでも、まず間違いなく大丈夫だろう。シャレードとピクショナリーは、いわゆる創造的な部類に属すると思われているし、一般的にそう受け入れられてきた、という経緯がある。
だから、一般的には、創造性そのものが問題じゃないんだ。むしろ、「知られていない」という事の方が問題だ。ある事柄について全く知らない人が、そういう事柄に接する事になった場合、その人はそれを「普通でない」と見るんだ。これはそれほど珍しいことじゃなく、むしろ繰り返し言われて来たことだ。でも、かなり危険な考え方でもある。「人と違うということは、変だということだ」
僕は十分理想主義な人間で、人は誰もが創造的になれる、と信じている。でも、どうやら創造性の表現の仕方には、受け入れられるものと、そうでないものがあるらしい。芸術の世界では、この件について、かなり長い間論じられてきた。でも、ステレオタイプな芸術家というのは、他人と違っているか、あるいは偶像崇拝主義者のどちらかであると見做されているので、それほど問題にはならなかった。けれども「一般大衆」の世界においては、それは期待出来ない。
だから、僕らみたいに、仲間と集まって、自分でない誰かのペルソナをかぶり、比較的未知の、アナザーワールドで遊ぶような連中は、ええと...変人なわけだ。 これは、ロールプレイングそのものに本来備わった性質じゃない。むしろこれは、アンダーマーケティングの結果だ。昔、コンピュータ RPG は、メインフレームマニアたちのための、マニアックな気晴らしの遊びだった。でも今は、ゲームボーイで動くポケモンが、世界のベストセラーになっている。
だから、第一のポイントはこうなる。例えどんなものであっても、それが創造的であるかどうかに関わらず、その存在がどんなものであるか、みんなに知らせることが出来たならば、受け入れてもらえるようになる。人々がそれに慣れていけば、迫害も減ってくる。それが TV のように認知されるようになれば、君たちはゴールデンタイムの番組になれるんだ。
第二の問題は、労力だ。自身の空想世界で遊んでいる子供は、おとなしくテレビを見ているだけの子供よりも、生まれつき「分裂ぎみ」だ。これには創造力は関係無い。オプラーが読んでいる本を誰かに読ませる方が、みんなを外に連れ出して、つまらない訓練を受けさせるよりも簡単だ。だから、行動が大きければ大きいほど、受け入れられ難くなる。
さて、ここまで来たら、この情報を生かさない限り、これは単なる無意味な哲学ごっこに過ぎない(というか、自分に甘いソープボックスになる。これもまた別の類語反復ではあるんだけれども)。じゃあちょっとやってみようか。とりあえず土台となる概念は二つある。一つは、僅かな労力で出来る事ほど、やってもらえる可能性が高い、ということ。もう一つは、創造性のレベルとは関係無く、人は見慣れたものほど受け入れ易い、ということだ。
だから、僕らが RPG をより主流の、より受け入れられ易いものにするためには、まずは RPG をもっととっつき易くする必要がある。次に、マーケティングを根本のコンセプトからやり直さなきゃならない。RPG を簡単にするというのは、デザイン上の問題になるけれども、下手をすると最悪のものになり得る。なぜなら、デザインをあのマーケティング屋連中に任せることになるからだ。彼らはゲームをするかもしないし、しないかも知れない。でも連中は、足に生える菌類が社会的な大問題だと、数百万のアメリカ国民に信じさせる事が出来る奴らなんだぜ。
さて、マーケティング屋をデザインスタッフとして迎えた。僕らは現状のデザインコンセプトを全部放り投げる事にした。いいゲームが作れるかとか、それを芸術の域にまで高められるかとか、そういうことはこの際考えない。一番大切なのは、大衆にそれで遊んでもらえるかどうかだ。どんな間抜けでもプレイできるゲームかどうかだ。もし君がこれをゲームの死だと考えるのなら、ここで読むのを止めたくなるかも知れないね。
つまり、結局は、大量生産の玩具やゲームの大半は、こうして作られる。実は二つのやり方がある。第一の道は、優れた新しいコンセプトの製品を考え、市場にプッシュしていくやり方。もう一つは、退屈で真に単純なものを、パッケージだけ変えて出し直すやり方。マーケティングコンセプトがぶち上げられると、くだらない玩具がそれにそって作られていく。
もし二番目の道を選ぶなら、昔の Microgames(*2) を幾つか引っ張り出して、それを焼き直せばいい。さぁ、準備は出来た。その上、あの厄介なアートスタジオや、創造的なゲームデザイナーの連中をお払い箱にも出来たし。
じゃあ、そいつを市場に出してみよう。相手は業者だけに止めることはないよ(いや、手始めとしてはいいと思うんだけどね)。業者は、大衆に対して、何を欲しがっていて、何を買うべきなのかを伝える。また、大衆は、他のみんなが遊んでいるってことも知りたい筈だ。だから、ここで必要なのは、優れた PR だ。例えば、有名人にオススメしてもらうとか。
作り物でない、生の言葉には、物凄い威力がある。けれども、それにはコストがかかる。だから CM というものが存在するんだ。俳優を連れてきて、'Toon'(*3) のおかしなセッションの話をさせれば、大衆はこう思うだろう。「僕にだって出来そうだ」って。やがて、ある政治家が吐いたこんな警句がワシントンポスト誌に載ったら、全国百万のゲーマーたちはどんなに喜ぶ事だろう。「今の FBI の予算充当要求は、まるで7レベルのクレリックに剣+3を与えるようなものだ。アイデアはいいが、与える相手を間違えている」
どうやって実現するか? PR だ。 CM だよ。インサイダーを利用し、大衆の目を引付けるための、組織的なキャンペーンをぶち上げる。手始めとして Matt Groening(*4) にやらせよう。更にもっと進めていく必要があるね。
同じように、新聞での扱いを「人間嫌い連中のカルト活動」から「ヤングアダルト層を席巻する新しいムーブメント」に変えてしまうことが出来れば、新しい判定システムや、優れたゲームコンセプトをゲームに持ち込む以上の、「伝説の聖杯」的効果がある。これを最初に実現するのは誰でもいい。関係ないんだ。RPG 産業全体が認知されるようになり、その恩恵を享受できるのだから。考え方としては、「入門用ドラッグ」と同じだと言える。ポジティブな意味においてだけどね。
そうなると、一番おかしなことは、僕らがゲーマーだってことだ。僕らは、こういうことを、本当にお手軽にやってのけられるようじゃなきゃならない。僕らは、あるシチュエーションに適用出来るルールを学んで、そのルールの抜け穴を探し出し、そしてそれを最大限に活用して、事をより有利に運ぶことを楽しみだと認識している。じゃあ、ゲーミングをブームにするには何があればいい? この理屈をゲームビジネス自体に当てはめてはいけない理由なんてないだろう。
この、これまでは最大限に否定されてきた方面の創造性を使って、ロールプレイングという「ミーム(*5)」を広めよう。システムデザインやルール、パッケージングなんかは忘れてしまえ(あるいは、スタッフに任せるとか)。このキャンペーンに全頭脳を投じるんだ。
このアプローチに対して懐疑的な人へ。僕が言えることは、僕自身、ビジネスはゲームだと断言できる、ということだけだ。 RPGnet は今、数百万ドルのベンチャービジネスの一部になった。この額の現金がポケットに入ったかって?いいや...そのリアルさというのは、せいぜいゲーム上のお金ぐらいのもので、大体インターネット IPO とか(4千万ドルの価値があるのかも知れないけど、レンタル費用を賄うのに、パートタイムで働きにでなきゃならない)、アメリカの国債程度だね。つまり、このお金というのは、僕らが「ビジネス経済」と呼ぶゲームの枠組みの中にだけ存在する。でも、このビジネスという奇妙なゲームが、ロールプレイング全般を推進していくのに役立ってくれるんだ。
少なくとも、僕はそう願っている。そうじゃなければ、僕が RPGnet に無償で尽くした時間には、もっとマシな使い道があったという事になるからね。ええと、ゲームするとかね。でも、僕は希望を持っている。僕らは、創造性というのものが、努力して求める価値のあるものだと、また、ロールプレイングというものが、人生を楽しむのための優れた方法であると、信じている。常日頃、僕らが推し進めて行きたいと考えているのは、この信念だ。新しい年頭を飾るに当って、僕がこのコラムで示して行きたいテーマを、新たな気持ちで心に刻んでみたい。
じゃあまた来月。
Sandy Antunes
sandy*at*rpg.net
* 「数百万」っていうと随分な額に見えるけれど、実際のところ、真面目に会社を作ろうとしたら、500万〜1000万ドルなんて、単なる初期費用にしかならない。例えば、RPGnet ボランティア達は最近、別のゲームベンチャー企業に雇用されたけれども、その賃金は年間 5 万ドルだ。この企業では、その収益の 30% がこの賃金として消え、更にその2〜3倍の額を他のコスト(オフィス賃貸料など)として支払わなければならない。だから 100万ドルあると、フルタイムの職員を10人、大体1年間雇う事が出来る事になるね。でも、平均的な出版社は、大体1〜2人ってとこだ。うーむ、面白いね。
この記事は米国RPGnetの許可に基づき翻訳されたものです。日本語訳については当サイト管理者ben*at*scoopsrpg.comまたは翻訳者まで。記事の内容については本人へ英語で連絡してください。