第三章 コンピュータゲームの分類


アクションゲーム
 シューティングゲーム
 迷路ゲーム
 スポーツゲーム
 パドルゲーム
 レースゲーム
 その他のゲーム
ストラテジーゲーム
 アドベンチャーゲーム
 D&D
 ウォーゲーム
 運だめしのゲーム
 教育用ゲーム
 マルチゲーム
結論

 すでにさまざまなハードウェアで、膨大な数のゲームが発売されている。これらのゲームは、途方に暮れるほどバラエティに富んでいる。しかし、その一方で共通点を持つゲームも数多い。ほとんどのゲームが複数の特徴を持っている。発売されている多数のゲームをサンプルとして、コンピュータゲームの分類法を確立することは、ゲームデザインを学ぶために大いに役立つだろう。分類することによって、特定のジャンルのゲームに共通するものは何で、決定的に異なっている部分は何かということが明らかになる。ゲームをうまく分類することができれば、未開拓となっている新しいゲームを提案できるかもしれない。最も重要なことは、分類することによって、ゲームデザインの基礎をなしている原則が明らかになるということである。他の学問を例にあげれば、進化論はチャールズ・ダーウィン (Charles Darwin) がビーグル号において行った細かな分類作業から自然に導き出されたものだ。コンピュータゲームを分類しても、進化論ほど劇的な成果を上げることは期待できないかもしれないが、努力する価値があるのは間違いない。

 ここであげる分類法が唯一絶対でないことは強調しておこう。この章で提案する分類が正確なものだとは主張しないし、正確な分類法を公式化することが可能だという主張も受け入れない。分類というのは、単に、多数の関連した対象を整理するための便宜的な方法にすぎない。もしも、何か自然の力や潜在的なプロセスが働いていて、対象のグループを作り出すというのであれば、構造中に根源的な組織化原則を具体化した、唯一絶対の分類法の発見を期待するのも合理的なことではある。たとえば、この地球上の生物の広範な分布は、偶然に発生したものではなく、自然淘汰の産物である。自然淘汰は合理的で理解可能な、非恣意的プロセスである。ゆえに、自然淘汰の原則を具体化する、唯一絶対の、地球上の生物の分類法が存在するわけである。飛行機の形状から空気力学の原則を想像できるのと同様に、生物の分類法から自然淘汰の働きを想像することもできる。

 このことはコンピュータゲームには当てはまらない。何らかの組織化原則は存在しているかもしれないが、業界はあまりに若く、サンプルはあまりに少ないため、それを断言することはできない。現在のゲームは、確立した力による必然的な結果というより、むしろ偶然の産物である。もっと、本当の意味で広範なゲームが存在しないことには、ゲームを選択する機会がない。そして、選択なくして自然淘汰はありえない。したがって、唯一絶対の分類法を考案することは不可能なのである。多くの分類法が許容可能である。それどころか、違った分類法を構築しようという試みは、コンピュータゲームの共通の特徴を考察する上で有用な方法ですらある。私はそれほど意欲的ではないので、ただひとつの分類法を提案するだけで満足である。私はコンピュータゲームを、大きくふたつのカテゴリーに分けようと思う。知覚と運動神経を強調する「アクションゲーム」と、認識力を強調する「ストラテジーゲーム」である。それぞれのカテゴリーの中に、いくつかのジャンルが存在する。

アクションゲーム

 アクションゲームは、コンピュータゲームの大部分を占めるポピュラーなカテゴリーである。というより、たいていの人は、コンピュータゲームといえばこれを思い浮かべるだろう。アーケードゲームは全部アクションゲームだし、アタリ2600 (ATARI 2600) のゲームも、ほとんどすべてがアクションゲームである。このカテゴリーの特徴は、リアルタイムであること、グラフィックやサウンドによる演出があること、キーボードよりジョイスティックやパドルでの操作に向いていることなどである。プレイヤーに要求される主な能力は、手と目の共同作用と、反射神経である。

 私は、アクションゲームを、以下の六つのジャンルにまとめてみることにする。シューティングゲーム、迷路ゲーム、スポーツゲーム、パドルゲーム、レースゲーム、そして、その他のゲームだ。

シューティングゲーム

 シューティングゲームは、すべて、直接的で暴力的な対決を表現するものである。プレイヤーは、コンピュータが操る敵キャラを、撃って破壊しなくてはならない。要求されるのは、弾を撃ちながら、自機を適切な位置に移動させて、敵の攻撃をうまく避けることである。このようなゲームは非常に人気があり、アタリ (Atari) の強みとなっている。この種のゲームには、視点や武器の違いなどから生ずる、多くのバリエーションが存在する。

 『スター・レイダーズ』 (STAR RAIDERS) と『スペースウォー』 (SPACEWAR) を、このような観点から比較してみよう。これらのゲームでは両方とも、プレイヤーはロケットに乗って宇宙を飛んで、敵の宇宙船とリアルタイムの戦闘を繰り広げる。『スター・レイダーズ』は一人称的な視点を提供する(すなわち、画面には、パイロットが見ているのと同じ光景が映し出される)。『スペースウォー』も、同じような武器やメカを使っているが、決定的に違うのは、三人称的な視点を提供することである(つまりプレイヤーは、離れたところから、自機と敵機の両方を見る形になる)。両方のゲームをプレイすれば、その違いは誰にでもわかる。一人称的なゲームは三人称的なゲームよりも、エキサイティングで熱中できるのだ。残念ながら、一人称的視点のゲーム制作は技術的に困難であるため、それを実装しているのはごく少数のゲームだけである。たいていのゲームは、三人称的な視点を採用している。

 『アステロイド』 (ASTEROIDS) は、『スター・レイダーズ』と同じように宇宙を舞台とするゲームである。これらのゲームの違いは、敵の性質にある。『アステロイド』の敵は、プレイヤーと同じような武器で武装している少数の知的存在ではなく、ただぶつかってくるしか能のない、多数の岩石である。

 『ミサイル・コマンド』 (MISSILE COMMAND) は、いくつかの面白い工夫がされたシューティングゲームである。第一に、プレイヤーは、降ってくる核爆弾から、自分だけではなく街も守らなくてはならない。第二に、プレイヤーは決して敵を攻撃することがない。つまり、純粋な防衛のゲームなのである。第三に、他のゲームでは弾を撃つ動作が非常に速いのに対して、このゲームではより遅く、ミサイルが飛んでいって実際に爆発するまでに時間を必要とする。よってプレイヤーは、先の見通しを立てて多数のミサイルを発射するという計画性を要求されるのだ。したがって、これはアクションゲームでありながら、このジャンルの多くのゲームよりも、多くの戦略的要素を伴っているわけである。

 『スペースインベーダー』 (SPACE INVADERS : タイトー (Taito America Corp.) の商標) は、これまでで最も成功したシューティングゲームのひとつである。それは、最初の大ヒットゲームであり、1979年に始まったコンピュータゲームブームの火付け役となった。『スター・レイダーズ』や『アステロイド』では自機は自由に動くことができ、『ミサイル・コマンド』では自分の位置が固定されているのに対して、『スペースインベーダー』では、一次元、つまり左右にのみ動くことができる。プレイヤーは、『アステロイド』のように、自機に接触(着地)しようとして迫ってくる、どちらかというと愚かな多数の敵と対決する。さらに、インベーダーは『スター・レイダーズ』のように、向こうからも攻撃をしてくる。インベーダーは、画面を横切って行ったり来たりしながら、プレイヤーに向かってゆっくりと降りてくる。プレイヤーが多くのインベーダーを殺すにつれて、それらの動きは加速していく。このことが、ゲームに催眠術的な促進効果を与えているのだ。『スペースインベーダー』はやはり名作である。

 『スペースインベーダー』の成功によって、多くの模造品や二番煎じが登場した。これらのうちの多くのゲームの目的は、ただ、オリジナルの成功に便乗して儲けることだけだった。ただし、単なる二番煎じに終わっていない、本物のゲームもいくつか存在する。たとえば『ギャラクシアン』 (GALAXIAN : ミッドウェイ (Midway) の商標) は、『スペースインベーダー』の単純なバリエーションだが、このゲームのインベーダーは、オリジナルよりも獰猛で、急加速してプレイヤーに襲い掛かる。『センチピード』 (CENTIPEDE) も、同じく『スペースインベーダー』の派生形である。デザイン的にはかなり違っているが、内部的なゲームの構造はオリジナルに酷似している。インベーダーは、いくつもの節からなる巨大なムカデ一体となった。上下左右への移動は、画面のふちによってではなく、画面内に散らばったきのこによって制限されている。多数の脇役(クモ、ノミ、サソリ)が、ゲームをより複雑なものとする。『テンペスト』 (TEMPEST) は、ワイヤーフレームを使用して、『スペースインベーダー』を三次元の一人称視点にしたようなゲームである。『スペースインベーダー』のデザインが多くのゲームに参考にされたのは、それだけこのゲームが独創性に優れ、魅力がある証拠である。

 このほか、実に多くのシューティングゲームがある。『バトルゾーン』 (BATTLEZONE) や『レッド・バロン』 (RED BARON) は、ワイヤーフレームを使用した、一人称的視点のシューティングゲームである。『キャヴァーン・オブ・マーズ』 (CAVERNS OF MARS) 、『ヤーズ・リベンジ』 (YAR'S REVENGE) 、『クロスファイヤー』 (CROSSFIRE : オンライン・システムズ (On-Line Systems) の商標) 、『ディフェンダー』 (DEFENDER : ウィリアムズ (Williams) の商標) なども、皆シューティングゲームである。

 なぜこれほど多くのシューティングゲームが、舞台を宇宙空間に設定しているのかということを不思議に思うかもしれない。これには三つの理由がある。第一に、宇宙空間は、コンピュータで描画するのが簡単だということである。ゲームデザイナーは、真っ黒な画面に白いドットを描画するだけで良いのだ。第二に、宇宙空間は、プレイヤーの期待によって妨害されることがない。これはどういうことかというと、ゲームデザイナーがデザイン上の問題に遭遇したとき、それを何か強引な手段で解決したとしても、誰も、それが非現実的であるという理由で異議を唱えることができないということだ。これが地球を舞台にしたゲームだと、非現実的なことをすると目立ってしまうため、ゲームデザインが制約され、そのぶん負担が大きくなるのである。第三に、宇宙空間は、本質的に空想がたくさん詰まった環境だということだ。宇宙が未知の世界であるため、不信を抱きにくいからである。

 シューティングゲームは、これまで常にコンピュータゲームの中心にあった。プレイヤーたちは決して、それに飽きてしまうことはないだろう。これからも長い間、存在し続けるに違いない。

迷路ゲーム

 アクションゲームの第二のジャンルは、迷路ゲームである。なかでも成功しているのは『パックマン』 (PAC-MAN : ナムコ (Namco) の商標) である。迷路ゲームを特徴付けるのは、プレイヤーが通る迷路である。敵キャラが迷路を通ってプレイヤーを追いかける場合もある。いくつかの迷路ゲーム(アタリ2600の『メイズ・クレイズ』 (MAZE CRAZE) が良い例だ)では、プレイヤー自身が出口への道を切り開く。その他の迷路ゲームは、プレイヤーが迷路の各部を通って移動する。『ドッジ・エム』 (DODGE 'EM) が、このようなゲームの良い例だろう。どちらの場合も、追ってくる敵キャラの数や速さや頭の良さが、ゲームのペースと難しさを決定する。『パックマン』は、こういった要素のバランスが非常に良く取れている。敵キャラは、プレイヤーよりも少しだけ遅く設定されており、頭の良さと数でそれを補うようになっている。全体的にハイペースなゲームであり、プレイヤーが自キャラと4匹の敵キャラの位置関係をリアルタイムに把握することを難しくしている。

 ひとつ成功したゲームがあると、その模倣品やバリエーション、派生物が次々に作られる。『パックマン』も例外ではない。アタリの家庭用ゲーム機における『パックマン』の最初のバリエーションのひとつに、『ジョーブレイカーズ』 (JAWBREAKERS : オンライン・システムズの商標) の初版がある。このゲームは、いまは市場から消えてしまっているが、構造的な変化と演出的な変化の違いを、はっきりと証明している。構造的には『パックマン』と区別がつかない。ゲーム性もほとんど『パックマン』と同じである。しかしながら、演出的には多くの違いがある。追いかけてくる敵キャラは、幽霊ではなく顔であり、プレイヤーは口ではなく歯である。迷路の構成は違うし、サウンドも異なっている。このゲームは、著作権上の問題を最小限にとどめてゲームを模倣するのに使える方法の好例といえるだろう。

 『パックマン』の派生物には、『ムスクアタック』 (MOUSKATTACK : オンライン・システムズの商標) というのもある。このゲームは、『パックマン』と比べて、構造的にも若干の変更が加えられている。プレイヤーが、迷路の中でコンピュータが操る4匹の敵キャラに追いかけられるのは同じだが、多くの装飾による味つけがなされている。まず、迷路のすべてのポイントを通過するだけでは十分ではなく、コンピュータによってランダムに選択されるいくつかのポイントは二回完全に通過しなくてはならない。つぎに、追いかけてくる敵キャラに対抗する方法がまったく違う。パワーアップした自キャラで食べ返すのではなく、ネズミ取りを使うのだ。戦略・戦術的様相が異なるため、まったく違ったゲーム性が生まれている。最後に、とても面白い2人用のゲームが用意されていて、協力、あるいは対戦ゲームとして遊ぶことができる。『ムスクアタック』 (MOUSKATTACK) は、『パックマン』の基本的な構造はそのままながら、多くの装飾と拡張を加えることで、別のゲームに仕上がっているのである。

 迷路ゲームの魅力は、迷路自身が分岐構造を純粋な形で内包するという特性にある。分岐構造は、すべてのゲームにおいて重要な要素である。読者は、ゲームはツリー構造を持っているということを覚えているだろう。第一章で述べた、ツリーの各々の分岐点が、プレイヤーによってなされた決断を表すという考え方である。迷路ゲームにおいて、各々の分岐点は、迷路の交差点という形で簡潔に描写され、プレイヤーの利用可能な選択肢は、交差点で通行可能な道として、視覚的に提示される。つまり、迷路ゲームは、ゲームの分岐的な構造の、明確で視覚的な「世界の再現」を提供するのである。

 さらに魅力的なのは、迷路ゲームでは、ループする構造が可能だということである。プレイヤーは、迷路において、何度でも交差点に戻ることができる。そのたびに、他のキャラクターは異なった位置に動いているため、選択肢は毎回異なった意味を持つわけだ。このようにして、表示上は少数の交差点が、ゲームのツリーにおいては莫大な数の分岐点を表すことができる。コンピュータのプログラムに喩えると、少数の命令が、ループや条件分岐を通して、多数のケースを扱うことができるということと似たようなものである。

スポーツゲーム

 このタイプのゲームは、一般的なスポーツを再現しようとしたものである。これはもともと、コンピュータゲームが独自性を持っていなかった時代に作られたものである。独創的なアイデアを持っていない人がゲームをデザインするのに、そのモデルとしてスポーツを採用したのだ。これはマーケティング的にも有効な方法だった。保守的な消費者は、まったく経験したことのない、えたいの知れないゲームをなかなか買おうとはしない。すでに精通しているゲームのほうが安心できるのだ。というわけで、バスケットボール、アメリカンフットボール、野球、サッカー、テニス、ボクシング、その他のスポーツに基づいたゲームの登場となった。これらすべてのゲームは、ゲーム性を確保するために、元になったスポーツを大きくねじ曲げている。コンピュータゲームが提供するゲーム性は、元のスポーツとはかけ離れたものである。これは良いことだ。なぜなら、スポーツを完全に模倣しようとすれば、それはかえってつまらないゲームになってしまうからである。オリジナルのスポーツを大きく変更することによってのみ、きちんとしたデザインを作り出すことが可能だった。とはいえ、スポーツゲームは、依然としてコンピュータゲームの世界ではマイナーな壁の花である。私は、将来スポーツゲームのデザインはあまり注目されなくなると考えている。コンピュータゲームの独自性が認められている現在、既知の素材を扱う必要性は減少したからである。

パドルゲーム

 『ポン』 (PONG) に基づくゲームをカバーするために、パドルゲームという名前を使おう。『ポン』は間違いなく、最も成功していて応用の利くゲームデザインのひとつであり、そのため多くの孫やひ孫が存在する。ゲームの核である、パドルで何かを操作して弾を受け止めるという形は、果てしないバリエーションをもって使用された。オリジナルの『ポン』は、二人でプレイする、ピンポン(卓球)の電子バージョンだった。ゆえにその名がある。『ブレイクアウト』 (BREAKOUT) は、ボールで壁を破壊する、一人用のゲームであり、破壊したブロックに応じて点数がもらえた。『スーパーブレイクアウト』 (SUPERBREAKOUT) はこのテーマを拡張し、動く壁や、追加のボールや、その他のトリックを取り入れた。『サーカス』 (CIRCUS) は、放物線状の軌道をとるピエロの姿をした弾や、動く壁(風船)の複雑な軌道を導入した。『ウォーローズ』 (WARLORDS) は、いささか遠いジャンルだが、四隅に位置する最高四人のプレイヤーが、フィールドの端で跳ね返った弾から、パドルを操作して自分の城を防御する。

 以上のゲームでは、プレイヤーはボールを武器として用いるが、単にボールを受け止めるだけのゲームもある。『アヴァランス』 (AVALANCHE) はそのようなゲームのひとつである。このゲームでは、プレイヤーは画面の一番下におり、上から多数の岩が落下してくる。プレイヤーは、落ちてくる岩を受け止めなくてはならない。ゲームが進むにつれて岩の落ちるスピードが速くなり、ペースが上がるに従い、ゲームは半狂乱的になっていく。『チキン』 (CHICKEN) は、このテーマを拡張している。岩を卵に置き換え、地面に落ちると卵がかえってしまい、主人公のめんどりは、動き回るときにそれを飛び越えなくてはならなくなる。

 パドルゲームのシステムは非常にシンプルであり、まだ発展の可能性があるかどうかについては疑問があるけれども、このような古くからある普遍的なシステムに死を宣告してしまうのはためらわれるところである。

レースゲーム

 直線コースを使ったレースゲームもある。ほとんどの場合、プレイヤーの移動スピードは一定であり、障害がうまく乗り切れないと、時間的ペナルティが与えられる。APXのスキーゲーム『ダウンヒル』 (DOWNHILL) では、プレイヤーは木や岩を回避しなくてはならない。プレイヤーのスコアは、コース完走時点のタイムに基づいている。ジェベリ・ソフトウェア (Gebelli Software) の『マッチ・レーサー』 (MATCH RACER) は、オイルや障害物のあるカーレースだ。また、『ナイト・ドライバー』 (NIGHT DRIVER) は、一人称視点が特徴的なカーレースゲームである。これらすべてのゲームにおけるひとつの問題は、それらが真のゲームではなく、パズルであるということである。というのは、プレイヤーとその対抗者の間にインタラクティブ性がないからだ。それどころか、これらのゲームで対抗者を識別することは困難である。

 レースゲームのいっそう進化したバリエーションが、『ドッグ・デイズ』 (DOG DAZE) である。これはパズルではなく、真のゲームである。二人対戦式のゲームで、毎回位置が変わるゴールと障害物がフィールドにおかれる。それぞれのプレイヤーは犬を操作する。給水栓が画面上のランダムな位置に出現するのだが、プレイヤーは、その給水栓に先に接触して自分のものにするために、競争しなければならない。相手の給水栓には触れてはならず、触れた場合は一時的に動きが止まってしまう。ゲームは多くの面白いひねりが加えられているが、かといって過度に複雑でもない。これは、レースゲームが、ゲームデザインにおいて融通の利く媒体であることを示している。

その他のゲーム

 私の分類には欠陥があり、この分類にうまく当てはめることができない多くのゲームが存在する。たとえば『ドンキーコング』 (DONKEY CONG : Nintendoの商標) は、知的な障害物が取り入れられたレースゲームのように見える。『フロッガー』 (FROGGER) なども私の分類法では扱いきれない。壁や障害物を動かすことから、迷路ゲームの一種と呼ぶことはできるかもしれないが、適合度は低いだろう。同じく、ブローダーバンド・ソフトウェア (Broderbund Software) の『アップル・パニック』 (APPLE PANIC) もまた私の分類を拒絶する。ある意味では迷路ゲームのようであり、またある意味ではシューティングゲームのようでもある。ゲームのペースは中途半端に遅い。私はこのゲームと何と呼んだら良いかわからない。これらのゲームが私の分類法に適していないという事実は、それほど悩むようなことではない。私は、個別のゲームのために特別なジャンルを作ることは望まない。新ジャンルの発展を静かに見守ることにしたい。

ストラテジーゲーム

 ストラテジーゲームが、コンピュータゲームの第二のカテゴリーである。これらのゲームは、操作よりも思考を強調する。アクションゲームが戦略性を欠いているというわけではない。いくつかのアクションゲームは、しっかりした戦略的要素を持っている。ストラテジーゲームとアクションゲームを区別するのは、アクション性の強調の度合いである。アクションゲームはすべて運動神経を必要とするが、ストラテジーゲームはそうではない。リアルタイムなストラテジーゲームは希少である(これは変わりつつある。『リージョネア』 (LEGIONNAIRE) は、注目すべきリアルタイム・ストラテジーゲームである)。ストラテジーゲームは、典型的に、アクションゲームよりも多くのプレイ時間を必要とする。ストラテジーゲームはゲームセンターには存在しない。アタリ2600 (ATARI2600) でも珍しい。ほとんどパソコンゲームの独壇場である。私は、ストラテジーゲームを六つのジャンルに分ける。アドベンチャーゲーム、D&D、ウォーゲーム、運だめしのゲーム、教育用ゲーム、マルチゲームである。

アドベンチャーゲーム

 アドベンチャーゲームは、最も古いコンピュータゲームのひとつ『アドベンチャー』 (ADVENTURE) から始まっている。このタイプのゲームでは、冒険家は、複雑な世界を動き回り、さまざまな道具を手に入れ、障害を乗り越えて、ゴールにたどり着かなくてはならない。スコット・アダムス (Scott Adams) は、パソコンで広く稼動する最初のアドベンチャーゲームを作った。彼のソフトハウス、アドベンチャー・インターナショナル (Adventure International) は、それらのゲームによって有名になった。彼のゲームは、少量のメモリで動作する純粋なテキストアドベンチャーであり、ディスクドライブを必要とせず、違うマシンに容易に移植することができた。その後、ケン (Ken) と ロバータ・ウィリアムズ (Roberta Williams) は オンライン・システムズ (On-Line Systems) を創業し、その代表作となる『ウィザード・アンド・プリンセス』 (THE WIZARD AND THE PRINCESS) を発売した。ゲーム自体は特に新しくなかったが、革新的だったのは、グラフィックを使用して、冒険家が見たものを絵で表示することだった。両社とも、そのシステムで多くのゲームを作るために、ラインを拡張した。これらの派生的なゲームの大部分は、構造的にはオリジナルに類似しており、ディテールや規模が異なっている。

 アドベンチャーゲームの次のバリエーションは、超大作ゲームだった。『タイム・ゾーン』 (TIME ZONE) などがそのひとつである。これらの巨大なアドベンチャーゲームは、多数のディスケットを使う。プレイヤーは、あるディスクで謎を解いたら、別のディスクに入れ替えてゲームを進めるわけである。ゲームは構造上、以前のゲームとまったく同じであり、唯一の相違はその規模である。これらのゲームは、解くのに何週間ものプレイを必要とした。

 インフォコム (Infocom) の『デッドライン』 (DEADLINE) は、アドベンチャーゲームの新しいバリエーションを示した。これは、いくつもの面白いひねりが加えられた探偵アドベンチャーゲームだ。まったくグラフィックを使っていないこと、優秀な構文解析能力を持っているという点で『アドベンチャー』 (ADVENTURE) の後継者といえる。プレイヤーは、殺人事件を解決する探偵となる。ゲームの進行がリアルタイムになったことで、ゲームの面白さと難易度が上がっている。プレイヤーは、宝物ではなく殺人事件を解決する手がかりを捜す。このゲームは、アドベンチャーゲームの可能性を示している。すなわち、同じシステムが、筋書きを変えて異なった目的に使うことができるということである。

 いままでで最も巧妙なアドベンチャーゲームのひとつが、ウォーレン・ロビネット (Warren Robinett) の『アドベンチャー』 (ADVENTURE) である。このゲームは、他のゲームと同じ基本的なフォーマットに従っているが、文章をまったく使わないのが特徴である。その代わりに、シンプルなグラフィックで表現されたいくつもの部屋を行き来する。グラフィックと操作方法は根本的に異なっているけれども、アドベンチャーゲームのシステムの基本的な手触りは一緒である。『スーパーマン』 (SUPERMAN) 、『ホーンテッド・ハウス』 (HAUNTED HOUSE) 、『ガラハド・アンド・ホーリーグレイル』 (GALAHAD AND THE HOLY GRAIL) などは、すべてこのゲームの派生形である。

 アドベンチャーゲームは、ゲームよりパズルに近い存在である。第一章で論じたように、パズルは、プレイヤーに与える障害が静的であるということで、ゲームとは区別される。アドベンチャーゲームは複雑な障害を提供するが、いったん解かれたらおしまいである。何らかの方法でプレイヤーに反応する障害物(飢えたドラゴンなど)を含めれば、少しはゲームに近くなるが、そういう工夫をしても、やはり基本的にはパズルのままである。

D&D

 D&Dから、ゲームの歴史の中で完全に独立した流れのスタイルが作られた。ファンタジー・ロールプレイングゲームは、ゲイリー・ガイギャックス (Gary Gygax) によって作られたTSRの『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』 (Dungeons and Dragons) に始まった。お城があって、ドラゴンや魔法使いやドワーフがいるおとぎ話の世界で、探検、協力、そして対立といった要素が複雑に絡み合う、非コンピュータゲームだ。D&Dでは、「ダンジョンマスター」の誘導のもと、プレイヤーのグループが宝捜しを始める。ゲームに必用なハードウェアは最小限ですむ。プレイヤーがテーブルのまわりに集まって、メモ用紙があれば良い。ダンジョンマスターはゲームのルールをその都度応用して審判をする。ダンジョンマスターはすべてのイベントを判定する権利を持っており、これによって、複雑なルールに悩まされることなしに、複雑なシステムを実現できるのだ。雰囲気は非常にルーズで、くだけた感じである。こういった理由により、D&Dは、果てしないバリエーションと派生形を生み、人気ゲームとなった。

 D&Dは70年代半ばに出現した。人々が、それがふたつの重大な限界を持っていることに気付くのに、長くはかからなかった。第一に、ゲームは複数のプレイヤーとダンジョンマスターを必要とするため、一人で遊ぶことはできなかった。第二に、プレイ中に長い計算や多数のダイスを振ることが必用で、ゲームはしばしば長たらしくて飽き飽きするようなものになってしまうことがあった。多くの人々が、これらの問題はマイクロコンピュータで解決できるということを認識した。D&Dスタイルのコンピュータゲームを最初に利用可能にしたのは、オートメイテッド・シミュレーションズ (Automated Simulations) だった。彼らの『テンプル・オブ・アプシャイ』 (TEMPLE OF APSHAI) は非常に成功していた。そのほかにも彼らは、同じようなD&Dスタイルのゲームを多く発売している。

 しかし、これまでのところ、本当にD&Dの精神を継いだゲームが発売されることはほとんどなかった。これには、いくつかの理由がある。まず、たいていのD&Dプレイヤーが若者であり、そのような製品を買うための金を持っていなかったということ。次に、アドベンチャーゲームが、D&Dのアイデアの多くをゆっくりと吸収していったことだ。もともと、アドベンチャーは純粋な文章だけのゲームであり、D&Dはグラフィックを使っていた。アドベンチャーはパズルであり、D&Dは真のゲームだった。アドベンチャーは概して非暴力的であり、D&Dは非常に暴力的な傾向があった。だが最近は、アドベンチャーゲームがD&Dの特徴の多くを取り入れており、それらの明確な相違点を示すことが難しくなっている。

 この現象の良い例は、『アリババと40人の盗賊』 (ALI BABA AND THE FORTY THIEVES : クオリティ・ソフトウェア (Quality Software) の商標) である。このゲームは、アドベンチャーとD&Dの両方の要素を持っている。プレイヤーは広大な迷路を歩き回って、お姫様を救わなくてはならないが、途中で怪物や盗賊とも戦わなくてはならない。プレイヤーは、アリババとして、D&Dゲームのような能力値(器用さ、素早さなど)を持っているが、一方、アドベンチャーのように迷路を探検しなくてはならない。このため、私はこのゲームをアドベンチャーとD&Dのどちらかに分類することはできない。むしろ「ファンタジー・ロールプレイングゲーム」とでも分類されるべき、新しいジャンルと言ったほうが適当だと思われる。これからは、アドベンチャーゲームの「探索・発見」という面と、D&Dの「敵の撃破」という面を兼ね備えたゲームが、もっとたくさん出てくることだろう。

ウォーゲーム

 ストラテジーゲームの第三のジャンルは、ウォーゲームである。ゲームとしての非コンピュータ・ウォーシミュレーションには、長い歴史がある。商用ウォーゲームは、1880年代の、木製ブロックを使うアメリカのゲームまで遡る。イギリスでは長い間、ウォーゲームのマニアたちが、兵隊のミニチュアの模型を使った、非常に複雑なルールのゲームをプレイしていた。それらのゲームはミニチュアゲームと呼ばれ、人気が広がってゆき、いまではアメリカでもプレイされている。けれども、近年、ウォーゲームといえば、ほとんどはボードゲームである。それは、1950年代後期に、チャールズ・ロバーツ (Charles Roberts) によって生み出された。彼はアヴァロンヒル (Avalon-Hill Game Company) を設立し、60年代には、『ブリッツクライグ』 (BLITZKRIEG) 、『ワーテルロー』 (WATERLOO) 、『アフリカ・コープス』 (AFRIKA KORPS) といった名作ゲームを作った。そして70年代になって、新しい会社、シミュレーション・パブリケーションズ (Simulations Publications) が、ボードゲーム形式のウォーゲームを、ウォーゲームの大半を占めるまでに発展させたのである。

 ウォーゲームは、一般に売られているすべてのゲームの中で、最も複雑で高度なゲームである。ルールブックは、企業の合併の契約書のごとく熟読しなければならないし、プレイ時間が3時間を超えることもざらである。したがって、ウォーゲームをコンピュータ上に実装することは非常に困難と思われるのだが、にもかかわらず、それは存在する。

 現在のコンピュータ上のウォーゲームは、ふたつのグループに分けることができる。第一のグループは、従来のボードゲームをそのままの形で直接コンピュータ上に移植したものである。たとえば、『コンピュータ版 ビスマルク』 (COMPUTER BISMARK)、『コンピュータ版 アンブッシュ』 (COMPUTER AMBUSH)、『コンピュータ版 ナポレオン戦争』 (COMPUTER NAPOLEONICS) といったゲームだ。これらのゲームは、ある形式のゲームをそのまま別の形式に変換することの愚かさを教えてくれる。良質なボードゲームを真似していても、それ自身がオリジナルと同じくらい良くできているかというと、そうではない。なぜなら、元のボードゲームをそのまま複製しようとするものだから、コンピュータを使っているのに、ボードゲームのように遅くて遊びにくいゲームになってしまっているからである。

 コンピュータ上のウォーゲームにおける第二のグループは、ボードゲームをコピーすることにそれほど盲目的ではない。私自身の『東部戦線 1941』 (EASTERN FRONT 1941) が、主にグラフィックや操作性などにおいて、このグループの中でベストなものだと考えられる。このジャンルでは実験的な作品が多く、それゆえ、失敗作のほうが多いくらいである。アヴァロンヒルが最初に投入したウォーゲームも、そのような実験作だった。私の『タンクティクス』 (TANKTICS) は、かつて最も先進的なゲームだった(私が1978年にそれをリリースした当時は、製品では唯一のウォーゲームだったのだ)。いまとなっては平凡なゲームである。コンピュータ・ウォーゲームは、まだ発展途上の分野だといえるだろう。ウォーゲームというと、プレイヤーにとってもデザイナーにとっても、いまはまだあまりにもボードゲームとの結びつきのイメージが強すぎる。しかし、ウォーゲームはいつかボードゲームの呪縛から開放され、独自のアイデンティティーを確立し、少しずつ進化していくはずだ。

運だめしのゲーム

 運だめしのゲームの歴史は非常に古く、何千年にもわたってプレイされてきた。それをコンピュータ上に作ってみようと思うのは当然である。プログラミング的にも非常に容易であるため、クラップスやブラックジャックを始めとして、この手のゲームには多くのバージョンが存在する。だが、そういったゲームはさほど人気が高いわけではない。その大きな理由は、コンピュータの長所が生かされていないということだろう。それどころか、オリジナルのゲームの利点をも失ってしまっている。これらのゲームは、他のメディアのゲームを不用意に持ってくることの愚かさを証明している。

教育用ゲーム

 ストラテジーゲームの第五のジャンルは、教育用ゲームである。すべてのゲームは何らかの意味で教育的であるけれども、ここで取り上げるゲームは、始めから教育を目的としてデザインされたものである。こういうゲームはまだそれほど多くない。それはおそらく、コンピュータを使った教育に関心を持つ人々が、まだあまりゲームデザインに注目しなかったからだろう。ソーンEMI (Thorne EMI) のパズルが、このジャンルの良い例である。また、APXは、いくらかの教育的価値を持った、非常にシンプルな子ども向けゲームのセットを販売している。名作コンピュータゲームのいくつかは、教育用ゲームである。特に『ハングマン』 (HANGMAN)、『ハンムラビ』 (HAMMURABI)、『ルナ・ランダー』 (LUNAR LANDER) の3本は最も注目に値するだろう。『スクラム』 (SCRAM : 原子力発電所シミュレーション) と『エナジー・ツァー』 (ENERGY CZAR : エネルギー経済学シミュレーション) は、教育用ゲームの中でも特に複雑なプログラムである。私のお気に入りは『ロッキーズ・ブーツ』 (ROCKY'S BOOTS : ラーニング・カンパニー (The Learning Company) の商標) というゲームで、ブール論理とデジタル回路を扱った子ども向けゲームである。プレイヤーは、仮想的な論理マシンを作るために、論理ゲートを組み立てる。このゲームは、コンピュータゲームの計り知れない教育的価値の可能性を示している。教育者は、ゲームが子どもたちに与える動機付けの能力に気付き始めている。じきに我々は、もっとたくさんの教育用ゲームを目の当たりにすることになるだろう。

マルチゲーム

 ここでは、個人やグループ間の人間関係に焦点を置いたゲームについて考察していこう。うわさを扱ったゲームがある。プレイヤーは、コンピュータが演じる最大7名の他のプレイヤーたちとうわさを流しあうのだ。交わされる会話は、そのときの印象、すなわちそれを良いと思うか悪いと思うかに限られる。抜け目ない態度を取っていれば多数派でいられるだろう。同様のゲームは、会社経営、お茶の間ドラマ、中世恋愛物、外交、謀略といったさまざまな分野を表現できる。まだ、この分野のゲームは成熟しているとはとてもいえないが、プレイヤーたちに非常に現実感のある空想世界を与えてくれるという点で、重要な分野のゲームとなるだろう。ゲーム以外の多くの芸術分野で、人間関係を表現しようとすることにいかに多くの努力が注ぎ込まれているかを思えば、コンピュータゲームが人間関係を扱えるようになるまでの時間はほんの一瞬だったといえるだろう。

結論

 これにて、私の提案する分類法の記述を終える。明らかに、この分類法には多くの欠陥がある。これは主に、雄大な自然法則などではなく、歴史的な偶然を根拠として区分されているためである。どうしてウォーゲームとD&Dを別に扱うべきであるのかという、根本的な理由がないのだ。しかし、両者は別々に発展し、歴史的にまったく別の道を歩んできた。同じように、私が教育用ゲームを独立したジャンルとしたのは、教育者たちが、教育用ゲームを作るための努力をしたからである。時間が経つにつれ、市場原理の力がそれらのジャンルを確定し、いっそう体系的で隙のない分類法が可能となるだろう。人々が教育用ゲームを作ろうとしたから、それらがいまあるわけだ。私の分類法は寄せ集めにすぎない。なぜなら現在のコンピュータゲーム全体が、寄せ集めのようなものだからである。

 この分類法は、コンピュータゲームデザインの状態について、多くの観察結果を示している。たとえば、アクションゲームにおいて、それぞれのジャンルの系譜が極めて少数しかないということは明白だろう。それぞれのジャンルでの典型的なゲームは、模倣、バリエーション、改良の一群全体を生んだ。さらに、それぞれの典型的なゲームというのは、それ自体が大きなドル箱となることはめったになく、それを改良したゲームが、打ち止めとなるまで後に続いた。シューティングゲームでは『コンバット』 (COMBAT) が『スペースインベーダー』を導いたし、迷路ゲームでは『ドッジ・エム』が『パックマン』を導き、パドルゲームでは『ポン』が『スーパーブレイクアウト』を導いた。

 この分類法のもうひとつの教訓は、ストラテジーゲームが、アクションゲームと比較して、まだ非常に不完全な発展状態にあるということである。アクションゲームにはかなりはっきりしたジャンルがあるのに対し、ストラテジーゲームのジャンルは、それほど満足できるものではなく、それぞれのジャンルの区別もあいまいである。だが、あいまいであるということは、ストラテジーゲームに、よりいっそうの発展の可能性が残っていることを示している。

 分類法というものは、組織化しようとする素材の主要な部分を反映する。コンピュータゲームデザインが日進月歩である以上、ここで提案した分類法も、短期間で、時代遅れで不適当なものになってしまうと思われる。数年のうちに、市場の変化を反映して、新しい分類法が作られるに違いない。しかしながら、差し当たりこの分類法は、雑多なゲームを体系的に観察する方法を提供してくれるのである。


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