インタビュアー: ピーボディ教授 (Prof. Peabody)
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クロフォードさんがこの本を執筆なさってからの10年間の変化について、どのようにお考えですか? 何が予想通りで、何が違っていたのでしょうか。また、執筆当時には書かなかった、あるいは書けなかったようなことで、いま現在、何か追加したいことはありますか? |
そうですね……。私がこれを書いたのは1982年ですから、実際には15年も経っています。ですから私は、本の中で予想した10年後(1992年)と現在(1997年)の間に差があったとしても、それからさらに時間がたっているぶん、恥をかかなくてすみますね。特定の記述については、どうこういうつもりはありません。代わりに、全体的な考えについてお答えしましょう。エンターテイメント・ソフトウェアの市場の成長率については、おおかた私が予想したとおりでした。ゲーム産業は、80年代前半よりも、ずっと大きくなりました。私の見当違いだったのは、市場そのものの拡大という楽観主義的な部分です。私は当時、エンターテイメント・ソフトウェアはもっと多様化し、さらに多くの人々を楽しませるようになるになるだろうと信じていたのです。でも、それは間違っていました。コンピュータゲームは未だ、本質的には全く変化していないと言っても良いでしょう。私たちが15年前に非難していた、せわしないシューティングゲームや、オタク的なストラテジーゲームと、何ら変わってはいないのです。
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『Excaliber』はいかがでしたか?(大成功だったのでしょうね?) |
いえいえ、とんでもない。あれが出たのは、ちょうどアタリが崩壊したころで、崩れ落ちる瓦礫にまみれて消えてしまいました。ただ、数こそ少ないとは思いますが、あのゲームをやってくれた人は感動してくれたのではないでしょうか。程度はともかく、あのゲームを革新的だと評価してくださるデザイナーも多いようですし。
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コンピュータゲームは、歴史の研究に役立つとお考えでしょうか? |
役に立ちますとも。その長所とともに、短所すら、歴史の研究に役立つと思います。史実を検証しようとした場合、どうしても偏った見方をすることになります。たとえば、歴史の資料には、歴史上の大物のことばかり偏って書いてあるものです。私たちは、カール大帝については細かいところまで良く知っていますが、彼の支配の下に生きた数百万人の小作農については、ほとんど知りません。また、私たちは鉄器時代よりも青銅器時代のことを良く知っています。鉄と比べて青銅は腐食しにくいからです。
もちろん、コンピュータゲームの中でそうなったからといって歴史的な証拠にするわけにはいきませんが、それを通して手がかりを覗き込むためのプリズムにはなりますし、なにより私たちの見方に方向性を与えるものでもあります。このことは、私たちが物事をそのまま信じ込んでしまうような「神話的」な見方よりも、実際にこの手でやってみるような「実証主義的」な見方をしたいときに、長所となるのです。つまり、歴史は「驚くべき物語」でありうるし、「自然に起きたこと」でもありうるわけです。神話的な見方をすれば、ナポレオンがあれほど多くの戦いに勝利したのは、「ナポレオンは才知に長けた戦略家だ。ナポレオンばんざい!」ということになるでしょう。けれども私たちは、ウォーゲームを通して、彼の行動を追体験することができます。それによって彼がなぜそういう戦略・戦術を取ったのかをより深く理解することができるのです。同じく、「実証主義的」な見方をすると、ナポレオンが「庶民」に関しては、彼の対抗者よりもずっと無慈悲であったということがわかります(ナポレオンはすべての小作農から食物を取り上げているのです)。
文章にしてしまうと、「実証主義的」な考え方は、「神話的」な考え方よりもインパクトは弱くなってしまいます。たとえば、ミッドウェイ海戦 (Battle of Midway) に関して、戦いが終わったあの劇的な瞬間(日本の海軍提督が空を見上げ、頭上にアメリカの急降下爆撃機を見たその一瞬)を好んで描写したがる人は多いでしょう。しかし、彼らはどのようなプロセスを経て、その瞬間に到達したのでしょうか? もちろん、細かな事象を時系列で文章にしていくことで、何がこのような幸運な大逆転を導いたのかを伝えることは可能でしょう。しかし、さながら太平洋で実演される雄大なギリシャのドラマであるかのような神話的印象を保つためには、それだけでは不可能です。一方、ゲームで実際にそれをプレイすれば、微視的な出来事の積み重ねが、最終的、巨視的には驚異的な結果につながるのだということを、肌で感じ取ることができるでしょう。
コンピュータゲームは、歴史のいくつかの側面を強調するために使うことができます。たとえば、私は数年前、「経済成長から自動的に技術開発が生ずる」というテーマで、『ガンズ・アンド・バター』 (Guns & Butter) というゲームをデザインしました。たいていの技術史は、誰か偉い人がこれこれを発見・発明したという「偉人伝」的な考え方を持っています。そこで私は、経済が新しい技術を利用するに値するほど十分大きければ、技術は自動的に発生するのだという代替意見を提示したのです(ついでながら、これは技術史のマルクス主義的見方とでもいえるでしょうか)。私はこの命題が必ずしも正しいとは主張しませんが、歴史のプロセスの異なった見方を提供したことは間違いないでしょう。社会におけるグループは常により大きいグループに吸収されやすいという傾向は、このゲームの中で明快に再現されています。
ゲームにも、乱用される恐れのある多くの余地があります。出版界の作家や編集者たちと比べると、ゲームデザイナーは不遜で愚かだったために、コンピュータゲームは啓蒙よりも害悪の源となってしまっています。ゲッベルス (Goebbels) が恐ろしかったのは、宣伝のために近代的なマスメディアを使う方法について、彼が非常に的確に把握していたからです。いまのところ、我々ゲームデザイナーはそのようなノウハウを持っていません。しかしいつかは、今度はインタラクティブなメディアを悪用する、ゲッベルスのような人間が現れないとも限らないでしょうね。
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歴史のゲームと歴史の本や論文では「命題」の表記法に大きな違いがありますよね。論文では命題は過去時制で表記されますが、ゲーム中では現在のものとして表現されます(たとえば「フランス革命は、政府の財政危機、経済の非常事態、君主制の権威の低下の結果として生じた」というように)。 |
ちょうど、最近いくつかのボックス版ウォーゲームを整理していたところなのです。それは皆、箱の表に「時は1476年5月21日木曜日、午前6時」などと書いてあります。それが現在であるかのような雰囲気は、シミュレーションには極めて重要ですし、最も強力な魅力です。歴史学では、現在は過去にアクセスできないことになっていますよね。
さて、ソフトウェアの納期が迫っているのです。もう行かなくては・・・。